景観と設備、近代とイギリスのアーチ橋

都市景観は、都市の視覚的な質を問うものである。都市の要素とは、建築の形や色、標識などの比較的小さいものから、広場の造形や街並みなど広がりのあるものまで含まれる。成功した都市景観の例として、シエナやボローニャなどのイタリアの諸都市をあげることがある。カミロ・ジッテの分析によると、ピアッツァと呼ばれる広場やアーケードの使われ方が、都市の一体感や躍動感を生み出している。

電気・空調・換気・衛生・通信・排煙設備などの配置、昇降設備の仕様などを決定する。

産業革命以降、農村から都市部への人口流動が加速し、都市の環境が悪化した。高い人口密度、住居と工場の混在、スラムの拡大など、様々な問題が発生した。近代的な都市計画制度はこうした事態を背景に生まれてきた。産業革命が最も早く起こったイギリスでは、1845年にエンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』に悲惨な生活ぶりが報告されている。1848年に公衆衛生法が制定され、この法律の発展に従い、建築や都市施設に対する基準が定められるようになった。良好な居住環境を実現するため、エベネザー・ハワードは田園都市構想を提唱した。また、近代建築運動の中では都市への関心も高く、ル・コルビュジエによる高層建築主体の「輝く都市」の提案などがあった。一方、自動車交通の増大が大きな課題になり、クラレンス・ペリーは、小学校を中心としたコミュニティを設計し、自動車交通から保護された日常生活環境を実現する近隣住区理論を提案した。20世紀中頃には、これらの機能主義的・合理主義的な都市や理想コミュニティのイメージをベースに、政府主導でニュータウンや郊外住宅団地として実現する事業が各国の都市計画を主導していった。

イギリスでは、19世紀の劣悪な居住環境からくる国民の健康問題に端を発し、1909年には初めて都市計画を扱う法律が制定された。土地利用状況の著しい変化が含まれる。この点、建築物や特定の工作物の建設を目的とする土地の区画形質の変更を開発行為と定義し、たとえば農地を駐車場に変更しても開発行為にあたらない日本の制度とは大きく異なる。また、イギリスの制度では開発によって生じるであろう公共施設需要増加に対して施設整備を行うことなどを条件に開発許可を与えることがある (Planning Obligation)。例えば、ある開発が交通や上下水道の需要増加を生じると予想される場合、その増加分程度の工事または出費を開発者に求めることができる。日本でも宅地開発指導要綱などにより「任意の寄付」として開発負担金を納付するよう行政指導する仕組みが広く自治体に採用されていた時期があったが、急速な都市化の終息と、法的根拠の曖昧な行政指導に対する社会的な批判から、近年はこれを廃止する自治体が多い。

アーチ橋は、上に凸な弓なりの構造体(アーチリブ)を用いて荷重を圧縮応力だけで支える「アーチ機構」の橋である。すなわち、右図上段に示すように、外部と自重により作用する下向きの荷重が、アーチ部材の内部において圧縮力に変換され両端の支点へ伝達される。一般的な桁橋(右図下段)では「曲げ」によるたわみが発生し、主桁内部では上側に圧縮応力と下側に引張応力が発生するのに対し、アーチ橋ではほぼ断面内に一様な圧縮応力だけを発生する。したがって、アーチ橋はその構造特性から桁橋の特徴を持つ。